羅針盤
大学院で研究をしていた時は、読んで書いて発表して、の繰り返しで、苦しかったけど今思い返せば楽しかった。思考の海、という言葉がよく頭にちらついた。思考の海を泳いでる感覚にしばしば陥り、それは途方も無いけど他にないような真の自由だった。
私は2年前のこの時期、訳あって、完成していた博士論文は日の目を浴びることなく私の手元に引き取ることになった。2年前同時に、いま私が働いているオタワでのポストに応募していて、英語力のせいで危うかったけど、なんとか勝ち取った。さらに2年前同時に、私は約30年間の人生で一番強くて一番熱くて一番優しい恋に落ちた。
先週の月曜日、離任日までついに3ヶ月のカウントダウンが始まった。1日1日はあっという間で、気がついたら私は成田空港の雑踏の中に立っているだろう。
2年の時を経て自分の故郷へ帰る。再び時間が動き出す。
いまそんな感覚でいる。
だけど、大嵐のようだった2年前のいまの時期とは何もかもが異なっている。
2年前、その先の自分がどうなるかわからなくて、博士号はすんでのところで私の手から滑り落ちて博士課程単位取得満期退学が決定して、オタワのポストもいちど不合格になり、私はアラサー高学歴ニートという称号を目前にしてがんじがらめになっていた。
その中で、本当に不思議なことに、片想いだけが小さな奇跡の連続ですごく素敵に結ばれていった。どんなにどん底の気持ちでいても、なぜか彼ばかりが心に浮かんで、一瞬で、本当に文字通り一瞬で、どん底の気持ちが吹き飛んでいった。暗闇の中の灯りのように、彼の存在がいつもいつも私を照らしてくれた。当時はまだ完全な私の片思いだったし、後から聞いたら、彼は彼でどん底の暗闇の中にいたようだから、どん底波動が同じで惹かれ合ったのかもしれない。
彼とは、大学のアルバイトで知りあった。初めて会ったのは9月だったけど、途中で彼がシフトを変更した関係で、11月頃から週に2〜3回会うようになった。二人とも大学から家が遠く、電車に乗ってる時間だけでも片道1時間近く、同じ方向、同じ路線だった。アルバイトと言っても、学部の学生の学習相談に乗るのが仕事なので、閑職同然だった。
だから、たくさん話した。よく顔をあわせるようになってから、本当にわずかの期間に、何時間も何時間もたくさん話した。私たちはいくらでも話していられた。
現実が動き出すのは一瞬というけれど、今思えば、2年前の12月・・ある時突然何もかもが動き出した。私は正式に博論取下げ願いを事務室に提出し、その数日後、ある朝起きたらオタワのポストが合格したと電話がありー合格発表日を10日も過ぎた連絡だったー出発は年が明けた2月末、ほぼ1月いっぱいは東京で研修があると言われた。
私は学術界にいたので、非常勤やら大学内のアルバイトやら全部4月〜翌年3月の通年契約だったのだけど、1月をまるっと休んだり退職したりする調整を急遽することになった。もちろん、ポストに応募した時点で必要な相手に頭出しはしていたけれど、快く応じて応援してくれた人事担当の方にはいまでもとても感謝してる。
驚くべきことに、博論やらオタワでの仕事やら、その成り行きの1つ1つのすべてが同時に、私の片思い成就への階段だった。
オタワに出発する。それはもう二度と彼に会えなくなることを意味していた。それまでは、大学に行けば会えていたから連絡先さえ交換してなかった。何度も一緒に帰ったのに、彼と連絡を取る手段は1つも持ってなかった。
大学は冬休みの直前で、もう私は大学に行く用事はなくなってた頃だったけど、彼の年内のアルバイト最終出勤日に、彼に連絡先を渡しに行こうと決めた。そして最後に私の知的関心と彼の知的関心が交差するテーマの本をプレゼントしようと思った。クリスマス近いし、お別れだし。彼の最終出勤日は、私の合格が決まった三日後だったので、そのアイディアを思いついた瞬間に速攻でAmazonで発注をした。翌日本を受け取って、ハードカバーの表紙を開いた表紙裏に、私の電話番号と一緒に「よかったら飲みに誘ってね」と一言書いた付箋を貼って、カバンに入れた。
思い出すだけでもドキドキする。本当に緊張した。30歳を超えてもこんなドキドキを味わえるんだと感動した。それは、高校時代に好きな男の子にバレンタインのチョコレートを渡すような、混じり気のない、甘酸っぱい、いまにも壊れそうでとても幸せな緊張感。
そしてその日、私は、本に忍ばせた連絡先を彼に渡すためだけに、片道1時間半かけて大学に向かった。着て行く服をスカートにするか、ジーンズにするか迷って、スカートはやりすぎかなと思ってジーンズにした。だけどトップスは冬らしい白いふわふわニットにして・・。
大学に着いてから、私はまず自分の研究室で精神統一をした。あまりの緊張に膝がすくんで、やっぱり帰ろうかと思った。何もしなければ何も起きない。傷つくこともない。連絡先を渡すためだけに片道1時間半、往復3時間もかけて・・私何してるんだろう。勢いで2000円もする本を翌日配送で買ったりして。ばかじゃん、このまま帰ろう。そう、何度も思った。
やっぱり帰ろうという方に心が傾いた瞬間、アルバイトの引き継ぎという真っ当な要件もあったことを思い出した。直接会わなくても引き継ぎができる体制は整えてあったけど、直接会えるなら一言やっぱり直接お願いするのが筋だ。恋心でいっぱいになっていた私は、真面目な要件を後から思い出し、大義名分を得たのですくっと立ち上がり、彼のいる部屋に向かった。
・・・
こういうのって、他人から見たら大抵なんてことない話なんだけど、本人にとっては宝物の思い出だよね。この世界にいる一人一人に、多かれ少なかれ、珠玉の宝物の思い出があるんだろうと思うと心が温まる。
その後彼とは、熱烈に結ばれて、1年間遠恋をして、彼はオタワにも来てくれて、その後去年の年末に私が一時帰国したときに、別れることになってしまった。
別れ後にも二人の間でやり取りは続いたけれど、やはり形の上では別れていくことにした。
だけど私はずっとずっと大好き。
若かった頃は、好きってなんだろうなんて考えたこともあったけど、本当に好きなときは、好きってなんだろうなんて思う余地がない。迷いがない。隠しようがない。ごまかしようがない。片思いの時から、こんなにはっきりとした好きのサインを心の内側から強く感じたのは、彼だけだった。ちょっと好きとか、ちょっと惹かれるとか、一緒にいて楽しいなとか、そんなレベルを圧倒的に凌駕した好きがあって。
もし彼と結ばれなくても、彼が幸せでありますように、彼が成功しますように、彼にたくさんの幸せが訪れますようにってずっとずっと祈り続けてる。
いま、あのときから2年の時間が経って、3ヶ月後には私は日本に帰ってる。帰国後に自分が何をするか、進路は全く決まっていないし、私の心の中では彼との恋もちっとも終わってない。
この先、どういう展開になるか、いまこの瞬間の私は何も知らない。だけど、どん底から或る日突然いろんなことがトントン話が進んで行くことがあるように、どん底から愛が生まれることがあるように、いまこの瞬間の現状があした吹く風を決める訳ではない。
欲張りな私は、2年前、神様に、「彼が好きで、同時にオタワも行きたいです。
中途半端な恋ならいりません、彼が真剣に愛してくれるんでなければ結ばれなくていいです。」そう祈った。それはどっちも叶った。
だからいま、また次に私が行きたい方向を神様に祈る。
神様
私は彼が好きで、彼がいる日本に帰ります。
今度は彼と一緒にいたいです。
二人とも、心のびのびと楽しく優しく暮らして行く道が拓けますように。
彼の幸せと私の幸せが重なり合いますように。
研究も博論も進路も恋愛も結婚も、どうして行きたいかさえわからない部分がまだあるけれど、いまこの瞬間、オタワの地で、こうして2年前のグラウンド・ゼロを回想できることに少し感慨深い感謝が湧いてくる。
2年後の私は、今の私をどんな気持ちで回想するのだろうか。
願うことは叶うこと。その過程にジェットコースターが用意されてるかもしれないけれど、最後はきっとベストな形に収まって行く。そう思いつつ、日本に帰って行く準備を始めたいと思います。
大好きなあなたとはじめてたくさん話した2年前の11月25日を記念して。
誕生日おめでとう。元気でいてね。
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