あい

政治学を軸に置いた分野横断的な社会科学の研究者。

勉強が大好き。
カナダが好き。
世界が好き。

勉強や知的活動は楽しく、自由であること、人生は望みさえすれば何でもできることを若者に伝えたく、研究も教育もやりたい、今人生過渡期。

学部、大学院をあわせて12年間学生生活を経たのち、30を過ぎてから初めて社会人として実務経験を積む。

海外在住を合計すると、フランス2年にカナダ3年。
フランス語と英語と日本語の3言語話者。

フランス政府給費留学生経験あり。

多様な経験の人生を支える人生哲学には、潜在意

記事一覧(30)

とても小さくて、とても大きな世界

前回の記事とはテンションがまったく違うのだけど、それでも書こうと思う。【追加】その前回の記事は、ちょっと削除しました学校というのは、狭い空間だ。特に今勤める学校は、校舎が狭いし、教室が狭いし、朝から夕方まで缶詰めみたいにずっといる。生徒の数は、そこまで多いわけでもない。1つの授業で、40名いれば多いほうだ。狭くて、窮屈で、濃密な感じ。これは、私が海外に行きたくなる時の自由を欲する感じとは正反対だ。もちろん、海外=自由だと言いたいわけではない。実際に住むとそれなりに狭くて窮屈で不自由な感じの現実はちゃんとある。それでも私は海外に住むことを思い浮かべる時、いつも、広くて、のびのびしてて、しがらみがなくて、大海に解き放たれるようなワクワクしたイメージをつきまとう。これに対して、学校という空間は正反対だ。ローカルオブローカルだし。なんていうのかな、閉じ込める感じ。その空間に縛りつける感じ。ずっと学校の先生になりたかったんだけど、大学院生の時かな。その閉じこもった感じが急にものすごく嫌になっちゃって。学校の先生になるのをやめて、研究を続けて大学の先生を目指すようになった。大学は、学校は学校でも、自由でのびのびしてて広い。私がいった大学は、そうだった。今いる学校は、狭くて閉じ込められる感じ。だけど、不思議と嫌じゃない。狭くて、小さくて、濃密な中で、ものすごい生命エネルギーが溢れかえってる。毎日毎日、すごいダイナミズムがある。こんなに小さい所に、こんなに大きなエネルギーが渦巻いている。ちょっとすごいと思う。19歳とか20歳くらいのこの子たちは、子どもではないけど、まだ大人にも成り切ってない。若いというより幼い時もあるし、幼いというより若いという時もある。それでも毎日、少し大人びた顔しながら、精一杯背伸びしてるのが伝わってくる。そんなことも知らないのー!ってひっくり返りたくなる時もあるし(アジアは中国と韓国と日本だけだと思ってた耳にした時・・)へー、こっちが思うよりちゃんとしっかり考えてるんだなーと思う時もあるしちゃんとしてると思ってたけど、結構甘えてるなこれは。と思う時もあるししっかり教えたり鍛えたりしていったら、ほーこれだけできるんだ!!やるじゃないか!と思う時もあるしなんか、もう、すごい。子どもって。若者って。すごい。そしてもっとすごいのは、この子たちが今必死こいてもがいているこの狭い空間なんて、井の中でしかなくて。これから大海にポーンと飛び出していくこと。きっと、10年後や20年後になったら、今のこの2年間なんて、滅多に思い出さなくなる。今、どんな焦りを抱き、どんな不安を抱き、どんなことに喜び、どんなことに悲しみ、どんなことに傷ついて、どんなことに笑って、どんなことに必死に向き合っていたのか毎日のようにせんせーいって呼びかけにきてても、私のこともきっと忘れる。そういう、たくさんの子たちの人生の刹那に交わってるこれってなんか、すごいことだなって尊いなって思ったりしてこんなこと書いちゃうのが、年取ったからなのか、まだ青いからなのか、どっちもな感じしますが、とにかく狭くて窮屈で濃密なのが、思ったより居心地よかったりしてる。

望んでいる方の未来を選ぶ方法

何かを始める時や決断する時って勇気がいるよね。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。私の場合、後から思うと大きな賭けみたいな決断をよくやる。笑私は20代になるまでは、学校での人間関係や家族の問題でどん底を這いつくばっているような感覚をずっと持っていたけれど、20代に入ってなぜか人生が好転してから、自分がいいなと思う道をどんどんガシガシ開拓していくコツ?みたいなものをなぜか掴んだ。それはいつも無意識の選択だったので、まるで魔法のようだったけど、一度だけ、今でもはっきり覚えている選択の瞬間がある。多分、あの時の意識が魔法の仕組みだと思うので、今日はそれを書き記す。あれは5年ほど前だろうか。私がパリに留学する数ヶ月前のことだった。Facebookに、留学奨学生の同期があげていた「パリで1ヶ月ルームシェアしてくれる人募集」というポストを見て、私は即座に飛びつき、ルームメイトになるべく手をあげた。しかしその同期は、奨学生の祝賀会で一度顔を合わせたことがあるだけの子で、性格はよく知らなかった。印象に残っていたのは、彼女がアフリカの聞いたこともない国で働いたことがあるというすごいエピソードを持っていたことくらいだ。ルームメイトとして立候補したはいいけれど、1ヶ月も見知らぬ他人と暮らす!さて、私は急に物凄い不安が襲ってきて、怖くて怖くてたまらなくなった。私、うまくやれなかったらどうしよう?その子と性格が合わなかったらどうしよう?すごいストレスで暮らすの嫌になったらどうしよう?喧嘩だらけになる相性だったらどうしよう?やることなすことイライラしちゃったらどうしよう?相性最悪だったら1ヶ月も一緒に暮らすとか耐えられない!怖い怖い怖い!無理無理無理!こんな感じで心がワーワー騒いでいた。しかし!しかしである。私はなぜか、そこでふっと冷静になった。ちょっと待てよ、と。すごい相性が合わない可能性があるということは、すごく相性が合って一生の友達になるレベルの友情を育む可能性だってあるはずだ。どちらの可能性もあるけれど、私は、今はちょっと想像もつかないくらいすんごい仲良しになる可能性の方がいいな。そっちの可能性を選ぼう。

幻の大阪生活?

大阪に引っ越してきて、早半年が経とうとしている。激動の半年だった。新型コロナウイルスの感染拡大という100年に一度の大惨事が世界中を席巻し、私の大阪での新生活は当初から波乱の幕開けだった。3月1日に新しい職場(専門学校)に着任して以来、春季講習の中止、卒業式の簡易化、入学式の中止、新学期開講の延期、オンライン授業の見切り発車、そしてようやく対面授業が始まる頃には6月を迎えていた。新米講師とはいえ、1年生と2年生の担任を務め、実務と教務の両輪を全速力で回してきたこの半年間は、本当にあっという間だった。最近ようやく、生徒の関西弁に慣れてきたところである。仕事は、楽しい。今住む家はJR環状線の内側だ。日本三大祭に数えられる天神祭が開催されるのはうちから2キロと離れていないらしい。しかしその天神さんのお祭りもコロナ禍の中で今年はほぼ中止に近い形だ。引っ越してきた当初から薄々予感はしていたけれど、おそらく私は、今年の夏は大阪で過ごすたった1度きりの夏だ。関西には縁もゆかりもない私が大阪にいる理由は、今の仕事と恋人が京都に住んでいること以外にない。籍を入れたら、もし仕事を続けたとしても私は京都に引っ越すだろう。何年生きるかわからないけれど、長い人生でたった一度しか過ごさない大阪の夏、たまたま当たったその年に、1000年以上続く祭が中止だなんて、こんな偶然はあるだろうか?大阪、結構気に入っているのに。

チャンスの神様が足音立ててやってくる

パパと私のほのぼの暮らし再開!

ただいま、にっぽん。2年にわたるカナダ・オタワでの任期を終え、日本に帰ってきました。といってももう3週間も経つけどね。今は、横浜にある実家にて、父とのんびり二人暮らしです。定期がないので都内に出るだけで毎回往復1500円近くかかるけれど、なんだかんだと用事があって都内に出たり出なかったり。基本的には幸せな毎日が夏休み生活を送ってます笑いまの幸せは、一番は毎晩の夕飯作り。オタワでは一人暮らしだったので、自分のためにはとてもご飯を作るモチベーションが上がらず、食べられればいい程度にしか料理をしなかったのですが、実家に戻り、食べてくれる人がいるので楽しくご飯を作る生活が再開しました。好きなんです、父にご飯を作るのが。私が料理をしている隣で父が早くも晩酌始めているのが。お前は何品もどんどん作って本当にすごいなと褒めてもらえるのが。父はいつも、「作ってくれてありがとう」と言ってくれるので、私も「私がご飯を作れるのは、食べてくれるパパのおかげ。私に作らせてくれてありがとう。」と返します。このやり取りだけで、一週間に何度も笑父と私はどちらも感謝を具体的に言葉で伝えるタイプなので、何年一緒に暮らしてもほのぼの仲良く居心地のいい関係。むしろ年々父は私に甘くなっているような笑 私も父の操り方(言い方)が年々上手になりました。今朝の会話父 「今夜カレーでいい?」(※父はカレー奉行です)私 (お。カレーなら私夕飯作らなくて済むな。ラッキー♫) 「いいよー」父 「俺が作るか?それとも愛作りたい?」(※父は、私が何でも自分で作りたい性格を知っているので気を利かせて聞いてくれています)私 (・・・パパのカレーはガチで美味しいから作り方マスターしたいけど、今日じゃなくていいや。めんどい。)  「パパ作ってー♫パパの方が私より上手に作れるし♫」父 「かわいいこと言うやつめ(ニヤニヤ)」私 (ちょろw赤子の手をひねるより簡単やなww)〜fin〜

体を動かす

ここ最近、少しずつではありますが日常の中で体を動かすようになってきました。それまでは、特に冬になってからは極度の運動不足だったんです。最近はスケートに行ったり、家の中で筋トレやストレッチしたり、今日は住んでるマンションのサウナに行ったり。今日はほんとはプールに入りたかったんだけど、なぜかプールの鍵が施錠されてて入れず! (サウナやプールがあるって高級マンションぽいですよね〜笑)サウナは想像以上にスッキリしました。びっくり。これからハマりそう。サウナで一人ぼ〜っとしていたら、突然、日本に帰ったら水泳やろうかなと思いました。ちなみに一週間前には突然、日本に帰ったら剣道をやろうかなと思いました(←中高時代にやってた)。で、家の中で気合い入れて足さばきや筋トレしたらめっちゃ筋肉痛になりまして。筋肉痛が続いてるうちに早くも剣道再開熱は冷めた笑まぁ。。剣道だろうが、水泳だろうが、いずれにしても体を動かしたがってる私がいるんだなーって思って。体をのびのびと、生き生きと動かしたい気持ちがあるんだなって気がつきました。スタミナが少ないので、運動を本格的にやるにはビビる気持ちもあるんですが、ゆっくりできそうな水泳からやってみようかな。カナダでは気軽にできるスケートを続けつつ。でもね。今日の題名の「体を動かす」ってスポーツだけのことじゃなくて。先週は、自分の研究テーマのために当地の大学有識者に話を聞きに行ったんですね。これまでは仕事と研究をごっちゃにするのが嫌で、仕事中にはいかなかったんです。かと行ってプライベートでは疲れて研究する気力もないから、せっかくカナダにいるのに人に話を聞きに行くということをせずに2年間過ごしてました。でも、帰国まで1ヶ月となって、まぁもう自分の研究のために仕事の一環で話を聞きに行ってもいいかなと。上司の許可もとって、スタンドプレー的に研究室訪問をしたんです。一週間に2回も。結果、行ってすごくすごく良かったです。同じ質問にしても、論者が違えば全く違う観点からの解説でした。2年塩漬けにして寝かせていた博論で、いっぱい勉強したことが熟成されて、改めて新鮮な疑問が出てきて、改めていろんな論点が整理された気がします。確かな手応えを感じました。やっぱり自分の足で動いて、自分の口で質問し、相手の目をみて、自分の耳で聞くってすごくすごくいいエネルギーが出る大事な行動だなって思いました。本を読むだけじゃここまでのエネルギーの循環は起こらない。研究は一人の作業だとずっと思っていたけれど、そうじゃないんだ。人と交わり、エネルギーの循環を起こすことが大事なんだ。だから学会とか勉強会ってすごくすごくありがたい集いなんだなぁ。そう感じたのでした。