とても小さくて、とても大きな世界
前回の記事とはテンションがまったく違うのだけど、それでも書こうと思う。
学校というのは、狭い空間だ。
特に今勤める学校は、校舎が狭いし、教室が狭いし、朝から夕方まで缶詰めみたいにずっといる。生徒の数は、そこまで多いわけでもない。1つの授業で、40名いれば多いほうだ。
狭くて、窮屈で、濃密な感じ。
これは、私が海外に行きたくなる時の自由を欲する感じとは正反対だ。
もちろん、海外=自由だと言いたいわけではない。
実際に住むとそれなりに狭くて窮屈で不自由な感じの現実はちゃんとある。
それでも私は海外に住むことを思い浮かべる時、いつも、広くて、のびのびしてて、しがらみがなくて、大海に解き放たれるようなワクワクしたイメージをつきまとう。
これに対して、学校という空間は正反対だ。
ローカルオブローカルだし。
なんていうのかな、閉じ込める感じ。その空間に縛りつける感じ。
ずっと学校の先生になりたかったんだけど、大学院生の時かな。
その閉じこもった感じが急にものすごく嫌になっちゃって。
学校の先生になるのをやめて、研究を続けて大学の先生を目指すようになった。
大学は、学校は学校でも、自由でのびのびしてて広い。
私がいった大学は、そうだった。
今いる学校は、狭くて閉じ込められる感じ。
だけど、不思議と嫌じゃない。
狭くて、小さくて、濃密な中で、ものすごい生命エネルギーが溢れかえってる。
毎日毎日、すごいダイナミズムがある。
こんなに小さい所に、こんなに大きなエネルギーが渦巻いている。
ちょっとすごいと思う。
19歳とか20歳くらいのこの子たちは、子どもではないけど、まだ大人にも成り切ってない。
若いというより幼い時もあるし、幼いというより若いという時もある。
それでも毎日、少し大人びた顔しながら、精一杯背伸びしてるのが伝わってくる。
そんなことも知らないのー!ってひっくり返りたくなる時もあるし(アジアは中国と韓国と日本だけだと思ってた耳にした時・・)
へー、こっちが思うよりちゃんとしっかり考えてるんだなーと思う時もあるし
ちゃんとしてると思ってたけど、結構甘えてるなこれは。と思う時もあるし
しっかり教えたり鍛えたりしていったら、ほーこれだけできるんだ!!やるじゃないか!と思う時もあるし
なんか、もう、すごい。
子どもって。若者って。すごい。
そしてもっとすごいのは、この子たちが今必死こいてもがいているこの狭い空間なんて、井の中でしかなくて。
これから大海にポーンと飛び出していくこと。
きっと、10年後や20年後になったら、今のこの2年間なんて、滅多に思い出さなくなる。
今、どんな焦りを抱き、どんな不安を抱き、どんなことに喜び、どんなことに悲しみ、どんなことに傷ついて、どんなことに笑って、どんなことに必死に向き合っていたのか
毎日のようにせんせーいって呼びかけにきてても、私のこともきっと忘れる。
そういう、たくさんの子たちの人生の刹那に交わってる
これってなんか、すごいことだなって
尊いなって思ったりして
こんなこと書いちゃうのが、年取ったからなのか、まだ青いからなのか、どっちもな感じしますが、とにかく狭くて窮屈で濃密なのが、思ったより居心地よかったりしてる。
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