幻の大阪生活?

大阪に引っ越してきて、早半年が経とうとしている。

激動の半年だった。


新型コロナウイルスの感染拡大という100年に一度の大惨事が世界中を席巻し、私の大阪での新生活は当初から波乱の幕開けだった。


3月1日に新しい職場(専門学校)に着任して以来、春季講習の中止、卒業式の簡易化、入学式の中止、新学期開講の延期、オンライン授業の見切り発車、そしてようやく対面授業が始まる頃には6月を迎えていた。新米講師とはいえ、1年生と2年生の担任を務め、実務と教務の両輪を全速力で回してきたこの半年間は、本当にあっという間だった。最近ようやく、生徒の関西弁に慣れてきたところである。仕事は、楽しい。


今住む家はJR環状線の内側だ。

日本三大祭に数えられる天神祭が開催されるのはうちから2キロと離れていないらしい。

しかしその天神さんのお祭りもコロナ禍の中で今年はほぼ中止に近い形だ。


引っ越してきた当初から薄々予感はしていたけれど、おそらく私は、今年の夏は大阪で過ごすたった1度きりの夏だ。関西には縁もゆかりもない私が大阪にいる理由は、今の仕事と恋人が京都に住んでいること以外にない。籍を入れたら、もし仕事を続けたとしても私は京都に引っ越すだろう。何年生きるかわからないけれど、長い人生でたった一度しか過ごさない大阪の夏、たまたま当たったその年に、1000年以上続く祭が中止だなんて、こんな偶然はあるだろうか?大阪、結構気に入っているのに。


私は2日前、35歳の誕生日を迎えた。オリンピック開幕式があるはずだった週末で、史上初の私の誕生日は7月の4連休の最終日だった。


付き合って1年半になる恋人がシャンパンと指輪を用意してくれていたらしいけれど、私は何日も微熱が続いていたため、彼と会うこともままならなかった。もしコロナだったら彼にうつしてしまう。私は、微熱とだるさと息切れとに苛まれながら、6畳半の部屋で一人35年目の生誕祭を終えた。35歳の誕生日にプロポーズされたと浮かれ調子でFacebookに書き込みをするはずだった未来は、どこの分岐点で失ったのだろうか。


今の仕事は楽しい。

ずっと大学院生だったから、日本でちゃんとした立場でちゃんとした仕事をするのは実は今年がはじめてだけど、教員は天職だとつくづく感じている。


最初の職場も、前の職場も、今とは全然違って実務を担当していた。それなりには楽しかったし、勉強になったし、もちろんがんばったけど、どこかで一線を引いていて、自分の居場所ではなかった。心に蓋をしていたし、80%の力で生み出せるものでいこうと力を出し惜しみしていた。実際それでも十分すぎるほど、仕事はまわっていた。経験や給料のための仮の姿だから、自分のエネルギーは節約していこうと割り切っていた。


でも今は違う。全然違う。意識してセーブしないと、つい120%や150%の出力になってしまって、自分も周りも火傷させてしまう。冷静と情熱の間で、それでも200%のパフォーマンスを求めてしまう。同じ人間と思えないほど、心が自然と仕事に向き合える。仕事はもはや仕事じゃない。私の生そのものになっている。


だけどその一方で、私は、ずっと今の場所に居続けたいわけではないと心のどこかで知っている。できれば2年か3年くらいは続けたいなと思いつつ、チャンスがあれば、また飛び立ってしまいそうだ。


毎年なぜか、私は夏に人生の分岐点を迎える。それも突拍子もないやつ。


2014年の夏、パリへの留学を突然決めた。(そして翌年パリに引っ越した)

2016年の夏、カナダで働くポストへの応募を決めた。(そして翌年カナダに引っ越した)

2019年の夏、大阪で働く話が舞い込んだ。(そして翌年大阪に引っ越した)


2020年の夏、どこに飛び立つのか、あるいはこのまま飛び立たないのか・・

どうなるのかなー

また数ヶ月したら現実が動いているんだろうな。

ずっとあとになってから、書くかもしれません。




The World is Your Oyster

よりエキサイティングな道をゆく。

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