内面の課題と研究課題の関係

引き寄せの理論に対する理解が深まってから、気がついたことがある。


それは、研究者としての私の研究課題は、自分の内面的な課題すなわちメンタルブロックを反映しているのではないか・・ということ。


私はカナダのケベックを研究してきた。ケベック研究なんて、マイナー中のマイナーではっきり言ってマニアックとしか言いようがない。でもだから(?)はまってた。

(自転車にささっているのはケベック州旗)


ケベックとは、カナダの中で唯一フランス語を州公用語とし、州民の多数派がフランス語を主要言語とするカナダ東部の州である。その面積はカナダで最大で、州人口は第二位。言語にとどまらず、制度、政治文化、アイデンティティ、社会、文化、思想、食等様々な領域において他の英語圏カナダと一線を画し、フランスの風を感じる独自の社会だ。


つまり、カナダの「マイノリティ」。一風変わった社会。


(ケベックシティ)


私がこれまで8年間ケベック研究に取り組んできた中でしばしば感じていたのは、ケベック的なロジックの議論はケベック州内で完結しており、英語圏に耳を傾けてもらうほどの発信力を持っていない(フランス語で書かれてるから英語圏で読まれてないのもあるけど)。


だからか、英語圏のカナダ人やケベックにきた移民や一部の日本の人から、


「ケベックってなんでそんなわがままなの?何がそんなに気に食わないの?w」


という扱いを受けることがあるのだ。


そんな時、決まって私は「キー!こんなに説明してるのになんでケベックの気持ちがわからんのじゃ!こんな事情があったら、こんな風に思うの当然でしょ!!!なんでわかってくれないの。わかろうとしてくれないの。」とケベックの代弁者であるかのように(もとはケベックに縁もゆかりもない私が一体何様・・w)感情が(今思えば異常なほど)upsetしていた。


今日も職場でそんな話題になって久々にupsetした。もちろん心の中でだけだけど。


それでふと疑問が湧いた。


「私、なんでケベックのことわかってもらえないって思うと、こんなに感情的になるんだろう?」


今日は、ケベックに関する上司の何気ないコメントにあまりにもイッラ〜〜としたので、昼休み中、考えてみた。


上司は、客観的に見れば別に怒るようなこと言ってなかった。言い方は好かんかったけど。でも言ってる内容はどうってことないことのはずなのに、私は感情が揺さぶられた。なんでだろう。


で、考えた結果。。


「お前は普通じゃない」「お前はおかしい」「お前が言ってることはとんちんかん」「おまえが言ってることはちゃんちゃらおかしい」「お前が言ってることは意味不明」「あんたまじで何言ってるの?頭大丈夫?」「普通はそうじゃないでしょ」「普通はこう。なのにそうじゃないあんたは普通じゃない。変」「多数派が正義」「勝てば官軍。負けたほうが悪い」


ケベックの立場を擁護する私は、自分の議論やケベックの論者の意見に対して批判や心ない疑問が呈されるたび、そんな風に言われたような気がしていたのでした。


そんな悲しい幻聴が心の中に響いていた・・。


「普通」とか「多数派」とか・・


「普通側」「多数派側」の意見や感覚を嗅ぎつけた時に、私の心のハリネズミがムキーと針を全開にして防御体制に入ってしまっていたようなのだ。


それは、ケベック云々ではなくて、私の気持ち。私が抱えていた心の傷。


私は、ケベックという研究対象を通じて自分の内面の問題を投影していたのだと気づいたのでした。


。。


私はマイノリティ擁護系議論が好きな、ザ・左翼系知識人ぽい思想寄りなのですが、おそらくその偏向も自分自身がマジョリティになれなかった側(?)みたいに思ってるひねくれからきているのだと思いました。


ちなみに私は、過去には、学校ヒエラルキーの下層あるいはヒエラルキー外に属するみたいなタイプだった。多分、いま職場で私をそんな風にみてる人はいないけど。深い深い自己認識は未だ名残がある。


なんでかわかんないけど普通とか多数派とか主流とか王道とかへの反発心。

みんなと同じようにできない私。みんなと同じように感じられない私。そんな自分を「×」とジャッジしてきた私。


それが根底にある。


大事なことに気づきかかってるこの感じ。

私のこともっと知りたい。もっと私のこと教えて。


今はただ、小さなことにupsetしてしまう自分にYESしてあげて、心に抱えていた傷を感じ切ってあげたいです。


多分、自分の内面の問題を浄化していったら、私の研究は一皮も二皮も向けそうな気がする。そんな予感。



The World is Your Oyster

よりエキサイティングな道をゆく。

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